エベレスト展望トレッキングとカトマンズ訪問10日間 2005年12月30日(金)〜2006年1月8日(日) 実施報告 | |||||
2005年12月30日、AM4:00参加者7名が松本を出発。AM7:30中部国際空港に到着。空港出発ロビーで2名と合流し、計9名が予定通りタイ航空でAM10:30日本を離陸する。バンコクに午後到着。バンコクのバス観光をして、夕食はレストランでタイ料理に舌鼓を打つ。 翌31日、AM10:30タイ航空でカトマンズへ向かう。ネパール領空内に入ると、北方に白銀のヒマラヤ山群が連なる。幾重にも重なる白い峰々を従えるように、ひときわ高く聳える三角錐の先峰を発見。「あれがエベレストだ!」誰かが声を上げると、乗客もざわめきはじめる。そのうち機体は降下し、赤レンガ造りの建物が近づいて見えてくると、カトマンズ空港にPM12:45着陸する。 空港では、カトマンズ市役所から花輪を掛けてもらい、歓迎を受ける。出迎え専用バスでカトマンズの王宮脇を通り、ホテルヘ向かう。 ホテルに荷を置き小休止後、早速にPM3:30、カトマンズ市役所市長代理パドマ・ラズ・レグミ氏(Mr,Padam・Raj・Regmi) を表敬訪問する。この日は休日であったが、マナンダール国際部長、キャンディール税務部長らも同席する。そしてMHC訪問団に対し、トレッキング成功を祈念し、帰還後の1月6日、カトマンズ市役所で夕食に招待し、歓迎したい旨約束がされた。 この後、市役所近くの歴史的遺産、高さ60mの建造物ビンセントタワーに登る。展望台からは、北方高く、夕陽に照らされたヒマラヤの白峰が輝き、眼下の盆地には、レンガの建物が群立するカトマンズ市街を、広く望むことが出来た。 | |||||
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2006年1月1日、朝霧の晴れを待って、カトマンズ国内空港から、16人乗りの定期便に乗り込み、空路エベレスト街道の玄関口ルクラ2827mへ向かう。上空に飛び立つと、北方にランタン、ジュガールヒマールの大山群が目に飛び込んでくる。豪快なロールワリンヒマールの先峰群を左に廻りこむと、機内の小窓から、雪煙を吹き上げる豪快な世界最高峰エベレスト8848mの姿を望む。機体が左右に揺れ、次第に高度を下げて、石壁の家並が近づくと、ルクラに着陸する。 ルクラで昼食を摂り、午後からエベレスト街道を進む。我々9名の他、シェルパサーダーのパサン・テンバ、他にコック、キッチンボーイ等11名とゾッキョ3頭、馬1頭に荷を背負ってもらい、トレッキングの出発。街道沿いの村々を抜け、チョルテン(仏塔)や大きなマニ石(経文が彫られた石)脇を通り、登り降りする事4時間でパグディン2610mに到着。ドード・コシ(ミルクの川)の川辺に建つロッヂに泊す。 1月2日、AM8:00出発。谷沿いの道を登り、幾つもの吊橋を渡り、ジョサレで国立公園の入園手続きを行なう。昼食後河原を1時間進み、高度感のある最後の吊橋を渡り、樹林帯の中、標高差600mの坂をゆっくりと登る。登る背後に、白峰タムセルク6623m、クスムカングルー6367mが高く望まれ、コンデリ6187mの先鋒が間近に近づく頃、ようやくナムチェバザール3440mに到着する。 | |||||
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ホテルから北へ30分程で、エベレストを望みながらクムジュン村に下る。サーダーのパサン・テンバ家の二階でPM12:30昼食を摂る。白い先鋒アマダブラム(母の首飾り)6812m、タムセルク6623mが目の前にそそり立ち、皆満足した一時を過ごした。 昼食後、クムジュン校(ヒラリースクール)を訪問。マヘンドラ・カセット校長らが、私達一行を待っていてくれた。MHCは、学生寮棟、食堂・台所棟、シャワー室棟、水道管600m引込みと貯水槽の建設を、日本外務省・日本大使館の支援金を受けて行なってきた学校だ。 MHCは、2002年7月の引渡後も、学生寮の一部運営の支援も行なっている。 | |||||
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1月4日エベレスト山群の山々と、クムジュン校やナムチェの人々との思い出を残して、AM7:40ナムチェを出発、復路も往路と同じ道を辿り、ルクラへ向かう。パグディンで昼食を摂り、午後は疲れた歩みを何度も止め、振り返り、沿道の村々、人々にそして神の山クンビーラ峰5761m、白峰タムセルク6623mに「さようなら、又来るからね」と心でつぶやき、別れを告げる。 この日の夜、ルクラのロッヂに宿泊。ロッヂでは、シェルパ達が、新鮮な鶏肉とチョコレートケーキを作って、私達のルクラ帰還とトレッキング成功を祝ってくれた。ささやかに歌を唄い合い、踊り合い、最後の別れを惜しんだ。 1月5日AM7:30、カトマンズから定期便が何機も飛来する。私達は、再び帰還する便に乗り、空路カトマンズに戻る。機内の小窓からは、後方に白い峰カンチェンジェンガ8586m、巨大なガウリシャンカール7134mを控えるロールワリン山群、風を切る翼の前方に、ランタンリルン7225m、マナスル8163m三山の白銀を、いつまでも遠望する事が出来た。思わず「ヒマラヤありがとう」と心の中でつぶやく。 AM9:45ホテルへ帰還する。皆、ホテルのバスルームで汗を流し、疲れた体を心地よく癒した事でしょう。ホテル近くのレストランで、ネパール産のざる蕎麦、湯豆腐、うどん 他を注文する。おまけのお汁粉が付いて、皆久し振りの日本食を摂る。 昼食後、貸切バスに乗り、カトマンズ・リングロード(環状道路)の外周辺にある、世界最大級のストウーパ(卒塔婆)を誇る仏教寺院ボド・ナートを訪問。基壇を右回りに巡ってみる。次に聖なるパグマティ川の対岸からネパール最大のヒンズー教寺院パシュパティナートの遺体焼場を望む。いずれも世界文化遺産に登録されている寺院だ。 夕方には、旧市街地に入り、カトマンズ旧王宮の世界文化遺産ハヌマンドカを探訪する。シャカ族の巫女が住むクマリ館で御布施をして拝み、シバ神の化身カールバイラブ像で手を合わせ、その足で大勢の人が買物客で群集うアッサン・トーレを歩く。途中、窓から絨毯を吊り下げた店の2階に昇り、パシュミナを何枚も購入する等して買い物に興ずる。 | |||||
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1月7日AM8:30、帰りの荷物を載せて、ホテルを出発する。もう一つの世界文化遺産パタンの旧王宮付近を訪問して、そのまま空港に向かう事とする。 パタン市は、旧名「美の都」の意を持つラリトプールと呼ばれていた。3世紀からの歴史があり、15世紀から17世紀のマッラ王朝時代は、三王国の一つだった。旧王宮は、塔と寺院が建ち並び中世建造物の極致といわれる。 私達は、激しい表通りから、人々が集う幾つかのチョーク(広場)を抜けて、12世紀からの起源を持つ、仏教寺院ゴールデンテンプルを訪ねる。燈す灯と鐘の音に、人々の信仰深さを想う。ここから5分ほどで、建物が建ち並ぶ旧王宮前広場に辿り着く。ネパールの歴史と文化をあらためて認識させられる場所だ。見晴らしの良いテラスに昇り、暖かいミルクティーを啜り、ゆっくりとした時間を過ごす。 旧王宮の建物の北方に、ヒマラヤの白峰ランタリルン7225mが望まれ、東にジュガールヒマール山群が連なる。カトマンズの朝を堪能したひと時だった。 AM11:00カトマンズ空港へ到着。空港内では、荷物のチェックと搭乗手続きを行ない, PM1:50タイ航空でカトマンズを離陸。バンコクで深夜乗り継ぎ、AM8:00中部国際空港へ全員無事降り立つ。「おめでとう!」皆握手を交わす。 エベレストトレッキングという自分自身の大きな挑戦を成功させ、カトマンズでは祝福を受け、松本市とカトマンズ市の姉妹都市交流の責任も果たして来ました。いろいろな重荷からも開放された日本帰国でもあった事でしょう。 2人はここで別れ、新幹線で東京経由、自宅のある埼玉へ向かう。7人は往路と同じ乗合ジャンボタクシーでAM9:30松本へ向かう。PM12:30松本へ到着。この日午後には、9名全員が、家族の待つ自宅に帰る事が出来ました。ごくろうさまでした。そしておめでとうございました。ネパールの余韻が、いつまでも心に残る山旅でした。 | |||||